このブログ、このシリーズについて
このブログは、私自身が実際に経験した出来事を振り返る回想録です。物語は、約50年前、16歳だった私がアメリカへ留学した日から始まります。一部は当時の記憶をもとに記載していますが、できる限り事実に基づいて綴っています。この留学をはじめとする数々の経験は、その後の私の人生を大きく変えました。
なぜエヌ・エイ・アイ株式会社を創業したのか。なぜ論文サポート、多言語翻訳、動画でOJT介護といった事業へ取り組むようになったのか。そして、なぜ社是を「とことんキッチリおつきあい」と定めたのか。このシリーズでは、一人の創業経営者として、その原点や想いを、できるだけありのままにお伝えしたいと思っています。また、このシリーズにはもう一つ目的があります。生成AIの急速な進化によって、大きな転換期を迎えている2026年という時代に、私たちはこれからお客様へどのような価値を提供していくべきなのか。自分自身の歩みを振り返りながら、その答えを探し、次の世代へ経験をつないでいきたい。そんな思いで、このブログを書き始めました。(エヌ・エイ・アイ株式会社 代表取締役 伊藤秀司)
第6話 アメリカンフットボールが教えてくれたもの
「We're the Roncalli Jets」
We're the Roncalli Jets
We're the best of all the rest
And we'll show you how
We'll go on to fame
By winning every game
Roncalli Jets is our name!
今でも、この応援歌ははっきり覚えています。
最近になってAIで調べてもらったのですが、残念ながら当時の音源は見つかりませんでした。
そこで、思い切って私自身がアカペラで歌って録音してみました(笑)。
50年近く経った今でも、自然に口から出てくるのです。
どうか笑わずに、16歳だった私の思い出として聞いていただければ嬉しく思います。
ちょっと一か所、"the"を入れなくてもいい箇所に"the"を入れてしまいました。科学論文校閲をおこなっている論文サポート会社の社長としては、恥ずかしい限りですが、2度も歌いたくないので、勘弁してください(笑)。

以下がアカペラの応援歌
町中がフットボール一色だった
フットボールシーズンは9月中旬から11月下旬まで。
毎週金曜日の夜、あるいは土曜日になると試合がありました。
ホームゲームの日になると、町全体がお祭りのような雰囲気になります。
試合会場は高校のグラウンドとは思えないほど立派なフットボールスタジアム。
数千人規模の観客席があり、地域の人々、卒業生、保護者が大勢集まります。
ブラスバンドが演奏を始めると、チアリーダーが踊り、その合間に何度も何度もあの応援歌が流れます。
「We're the Roncalli Jets!」
あのメロディーを聞くだけで、今でも胸が熱くなります。
私はもちろんベンチ要員でした。
それでも、そのベンチに座っていられるだけで夢のようでした。
日本とはまったく違うチーム
Roncalliは、その年Conference優勝を争うほどの強豪校でした。
残念ながら優勝には届きませんでしたが、何度も勝利の喜びをみんなで分かち合いました。
私が驚いたのは、試合前のミーティングです。
まず教会(Church)でお祈りをします。
その後ロッカールームへ移動し、その日のゲームプランをコーチが説明します。
ここまでは日本でも同じかもしれません。
しかし、その後が違いました。
クォーターバックのGreggをはじめ、ディフェンスの主力選手たちが、
「そのプレーなら、こちらの方がいい。」
「相手はこう来ると思う。」
そんな意見を次々と述べていきます。
コーチも真剣に耳を傾けます。
もちろん最終的にはコーチが決めます。
でも、「選手も戦略づくりに参加する」という雰囲気がありました。
日本の「監督が絶対」「先輩が絶対」という部活動しか知らなかった私には、とても新鮮でした。
ベンチにいても伝わる迫力
試合中、控え選手はサイドラインに立っています。
私は100%試合へ出ることはありません。
正直、
「もし出たら救急車だな。」
本気でそう思っていました(笑)。
でも、サイドラインだからこそ感じられる迫力があります。
ヘルメット同士が激しくぶつかる音。
「Hit!」
という掛け声。
Greggが叫ぶプレーコール。
観客の歓声。
テレビでは絶対に味わえない空気がそこにはありました。
私はその緊張感を、すぐ隣で体験することができたのです。
一度だけ試合に出た
そんな私にも、一度だけチャンスがありました。
2軍戦です。
普段はタイトエンドの練習をしていました。
タイトエンドは本当に難しいポジションです。
ブロックもする。
パスも受ける。
時にはボールも運ぶ。
正直、野球しか知らない私には荷が重すぎました。
そんな私をコーチは、オフェンスラインとして試合へ出場させてくれました。
「これなら秀司でも頑張れる。」
そう考えてくださったのでしょう。
3プレーで脳震盪
ところが…。
わずか3プレー目でした。
私は相手をしっかり見ようとして、顔を上げたまま構えていました。
すると相手のラインマンが一直線に突っ込んできます。
次の瞬間、
ガーン!
気が付くと私は担架に乗せられていました。
どうやら顎の下へ相手のヘルメットが入り、そのまま脳震盪を起こしてしまったようです。
サイドラインでしばらく寝ていたことだけを覚えています。
今なら間違いなく「タックルの姿勢が悪い」とコーチに叱られる場面でしょう。
忘れられない青春
試合に出た時間は、ほんのわずかでした。
活躍したわけでもありません。
でも私は、あのRoncalli Jetsの一員でした。
あの応援歌を歌い、
あのスタジアムで仲間と喜び、
同じユニフォームを着て戦った。
それだけで十分です。
50年近く経った今でも、
「Roncalli Jetsのメンバーだった。」
そう胸を張って言えることを、私は誇りに思っています。
(第7話へ続く)
執筆者
伊藤秀司 エヌ・エイ・アイ株式会社(事業内容:①科学論文サポートサービス ②NAIway翻訳サービス ③品質QAS動画まるごとローカライズ ④動画でOJT介護) 代表取締役
1995年創業。30年以上にわたり翻訳・英文校閲・論文投稿支援・グローバルコンテンツローカライズ事業に携わる。
1975年から約1年間、アメリカ・ウィスコンシン州Two Riversへ留学。本シリーズでは、その経験と、その後の人生について綴っています。
