このブログ、このシリーズについて
このブログは、私自身が実際に経験した出来事を振り返る回想録です。物語は、約50年前、16歳だった私がアメリカへ留学した日から始まります。一部は当時の記憶をもとに記載していますが、できる限り事実に基づいて綴っています。この留学をはじめとする数々の経験は、その後の私の人生を大きく変えました。
なぜエヌ・エイ・アイ株式会社を創業したのか。なぜ論文サポート、多言語翻訳、動画でOJT介護といった事業へ取り組むようになったのか。そして、なぜ社是を「とことんキッチリおつきあい」と定めたのか。このシリーズでは、一人の創業経営者として、その原点や想いを、できるだけありのままにお伝えしたいと思っています。また、このシリーズにはもう一つ目的があります。生成AIの急速な進化によって、大きな転換期を迎えている2026年という時代に、私たちはこれからお客様へどのような価値を提供していくべきなのか。自分自身の歩みを振り返りながら、その答えを探し、次の世代へ経験をつないでいきたい。そんな思いで、このブログを書き始めました。(エヌ・エイ・アイ株式会社 代表取締役 伊藤秀司)
第7話 小さな町で、ちょっとした有名人になった
アメリカ・ウィスコンシン州の小さな町、Two Rivers。
現在の人口は約12,000人ほどです。
この町は「アイスクリームサンデー発祥の地」として知られています。もっとも、ニューヨーク州イサカも同じように発祥の地を名乗っているようで、今でも両方の町が「元祖」を主張しているそうです。真相は分かりませんが、そんな話も、この町らしい微笑ましいエピソードです(笑)。
隣町はManitowoc。
ここには「Manitowoc」という製氷機メーカーがあり、世界中のホテルやレストランで使われていることを、私はずっと後になって知りました。実際、後にホノルルのラーメン店で「Manitowoc」の製氷機を見つけたときは、「あの町の会社だ!」と一人で感動したものです。
また、クレーンメーカーとして有名なManitowoc社もあり、小さな町ながら世界へ製品を送り出している地域でした。
Two RiversとManitowocは合わせて「Manitowoc County」と呼ばれ、一つの生活圏を形成していました。
地域新聞の取材
学校が始まって間もない頃だったと思います。
ホームステイ先に一本の電話が入りました。
地域新聞の記者からでした。
「日本から来た留学生を取材したい。」
1975年当時、この町に日本人留学生が来ること自体が珍しかったのです。
今ではその新聞記事は手元にありませんが、私にとって人生で初めて一般紙に掲載された思い出でもあります。
さらに、私は聞いていなかったのですが、地元ラジオでも
「Roncalli High Schoolに日本から留学生のShuji Itoが来ています。」
と紹介されたそうです。

東洋人は、私と韓国系の少女だけ
当時、この地域に住んでいた東洋人は、私の知る限り二人だけでした。
一人は私。
もう一人は、朝鮮戦争で孤児となり、この町のご夫婦の養女になっていた韓国系の少女です。
それほど外国人が少ない町だったので、日本から高校生が一人やって来たというだけで新聞記事になる時代でした。
この地域の新聞は、とても地域密着型でした。
「○○さんと○○さんが結婚しました。」
「○○さんのお孫さんが誕生しました。」
「○○さんが亡くなりました。」
そんな身近なニュースが写真付きで紹介されます。
全国紙では決して載らないような話題も、この町では大切なニュースでした。
私は、その新聞に三度掲載されました。
最初は留学生として。
次はアメリカンフットボール部の選手として。
そして三度目は、100マイル(約160km)のチャリティーサイクリングに参加したときです。
100マイルと聞いた時は、「なんとかなるだろう」と軽く考えていました。
ところが実際は160km。
しかも、平坦な道ばかりではありません。
アップダウンの続くコースで、本当に大変でした。
それでも完走できたことは、今でも良い思い出です。
スーパーを歩くだけで視線を感じた
新聞やラジオで紹介されたせいでしょうか。
スーパーへ買い物に行くと、多くの人が私の顔を見てきます。
「あ、日本人の留学生だ。」
そんな視線を感じることが何度もありました。
今思えば、ほんの少しだけ「町の有名人」になっていたのかもしれません。
ウィスコンシンのアイスクリーム
Birr家のお母さんには、よくスーパーへ連れて行ってもらいました。
そこで驚いたのが、アイスクリームです。
酪農王国ウィスコンシンらしく、アイスクリームは半ガロン(約1.9リットル)単位で売られています。
しかも、確か1ドル少々。
日本では考えられない大きさと安さでした。
アイスクリームだけは、本当によく食べました(笑)。
夕食に出てくる牛肉も、とにかく大きい。
少し筋が多く、日本の牛肉とは違いましたが、ボリュームは圧倒的でした。
そんな食生活のおかげで、私は一年間で10kg近く体重が増えてしまいました。


日本を紹介した日
ある日、妹のHelenが通う小学校から、
「日本について話をしてくれませんか。」
という依頼がありました。
日本から持ってきたスライドを映しながら、10分ほど日本を紹介しました。
その後は30分ほど質問攻めです。
「日本には侍がいるの?」
「学校はどんなところ?」
「みんな着物を着ているの?」
今思えば、かなり適当な英語で答えていた気もします(笑)。
それでも、子どもたちは真剣に話を聞いてくれました。
先日、アメリカ建国250周年のお祝いメッセージをHelenへ送ったところ、
「あの時、小学校で日本の話をしてくれたことを、今でも誇りに思っている。」
そんな返信が返ってきました。
50年という時間が流れても、あの日の思い出は、お互いの心の中に残っていたのです。
そう思うと、人とのご縁とは本当に不思議なものだと感じます。
(第8話へ続く)
執筆者
伊藤秀司 エヌ・エイ・アイ株式会社(事業内容:①科学論文サポートサービス ②NAIway翻訳サービス ③品質QAS動画まるごとローカライズ ④動画でOJT介護) 代表取締役
1995年創業。30年以上にわたり翻訳・英文校閲・論文投稿支援・グローバルコンテンツローカライズ事業に携わる。
1975年から約1年間、アメリカ・ウィスコンシン州Two Riversへ留学。本シリーズでは、その経験と、その後の人生について綴っています。
